夜更かしのオトモ

論理的思考力は論理的思考のもとに育たなくても育つ

まいどまいど暗い話題からで申し訳ないんだが、今日はこども時代にまともにサブカルチャーを満喫できなかったことについていまだに親を恨んでいる件から切り出したい。

実家には独特のルールがあり、「趣味を楽しむ時間は1時間だけ」という決まりだった。

その1時間のなかで、漫画を30分読んでゲームを30分してもいいし、1時間まるまるテレビを見てもいい。
ただし、それ以外の時間は勉強したり本を読んだりして真面目におとなしく過ごさなければならなかった。

学校でディグダのモノマネが流行ってるときもポリゴンショックが話題になっている時も、ピアノのレッスンがあってポケモンというアニメ自体見たことがなかったし、漫画はあとでこっそり読めるようにワープロで好きなキャラの台詞だけをひたすらに打って印刷した紙を持ち歩いていた。

秘する恋は花だし、やっぱり禁断は蜜の味なのか。ティーンエイジャーになる頃には立派なオタクができあがっていた。

ルールの効き目は統一性

わたしには、歳の離れた弟が2人いる。

しかし、この「1時間ルール」が適用されたのは、なぜか長女であるわたしに対してだけだった。

「公立高校に落ちて私立に行くことになったら人生が終わる」と思い込んで、死ぬほど受験勉強をして手に入れた携帯電話やおしゃれができる自由だったはずだけど、弟ふたりは漫画もゲームもやり放題で勉強なんて1ミリもせず、高校も大学も私立に行っている。

母に不平をこぼすと必ずこう返された。
「あの子たちは男の子だから!!!」

女の子には文化を楽しむ権利はないのか。わたしが身につけてきた学は、家計の節約のためだけなのか。

「よそはよそ!うちはうち!」という言葉と、「一般的にはこうだから!」という両親からの主張はその場その場で器用に使い分けられ、そのたび話し合いに混乱をもたらす。

「この人たちは自分の美学にもとづいてではなく、そのときの都合にあわせて言葉を使っている」とやっと気づいたのは、ハタチを過ぎてからのことだった。

「ありがとう」って言うと「そこは謝るところでしょ!?」って言う

タイトルにもある、「論理的思考」

これができない人の特徴は、なんてったって”質問を質問で返す”ことだと思う。

「空手を習ってみたいんだけどどうしたらいい?」と言えば、「ピアノだって続かなかったのに?」と返される。

(誘拐にあいそうになって護身用に興味を持った空手と、動作IQの低さのせいで結局右手しか弾けるようにならなかったピアノは違うと思う)

「奨学金を借りれば大学に行ける?」と聞けば、「あなたはそんなに若いうちから借金を抱える人生でやっていけるの?どうせすぐ結婚して働かなくなるのに?」と返される。

(いまだに結婚せずに働いているのに?)

こだまでしょうか、いいえ、親です。

世の中には、「Aだったから絶対にBである」という因果関係など存在しないはずだ。

わたしはヤツらを打ち負かすため、漫画のセリフを打ちまくって鍛えたタイピング力とワープロ力を駆使して、話し合いには必ずレポートを持って挑むクセがついていった。

おかげさまでいまの仕事に

「これを持っていたら自分の生活はもっと豊かになる」とか、「この動物はこんなにもかわいくて、こんなものを食べるのでこんなスケジュールで世話をするつもりです」とか、とにかくメリットを提示し、デメリットを踏まえ、イラストや表を用いて渾身のプレゼンを心がけた。

高校が英語科だったのも幸いし、パラグラフライティング(序論→本論→結論)を学ぶうちにどんどん論理的な解決のテクニックは磨かれた。

ただし、わたしは大きな大きな落とし穴には気づいていなかったのだ。

論理的思考は、非論理的思考に勝てない。

「自分にはAが必要です。なぜならBという意見があり、また、Cという根拠があるからです。」

この説明は、「お前はまた小難しいことを言って!親をバカにしてるのか!こっちが高卒だからってわからないと思って△●×…」という噴火一発でこなごなにかき消される。

しかたないから、黙って近所のコンビニで時給625円のバイトをして、欲しいものや教材は自分で買った。

内緒で自室で飼ってたハムスターは、東北の冬の厳しさに耐えられずすぐに死んだ。

▶︎ぼうぎょ

すごく愉快なエピソードなので機会があればまたあらためて話したいのだけど、以前働いていた職場に歩くヒステリーのような女性がいた。

「アタシがなんで怒ってるのかわかる!?」と叫びながら出勤してきたときには、さすがに笑いをこらえきれなかった。

口をモゴモゴさせながら、「すみません…思いあたらないので理由を教えていただけますか?」と聞くと、「アタシ30なんだけど!歳上なの!」と返された。

「敬いなさいよ」ということなんだろう。

最初は、真に受けてそれなりにへこんだ。
「なんでこんな人ばっかりなんだろう」と。

でも、すでに実家を出ていたわたしは外の世界が”そうじゃない”ことも知っていた。
ともだちもいるし、まともな素晴らしい大人にもたくさん出逢ってきたし、もうさすがに「こんな人ばかり」ではない。

めんどくさいのでそのまま放っておいたら、ある日べつの部署の部長が「佐藤さんをぜひうちに」と引き抜いてくれた。(一身上の都合ですぐに退職することになって、すごく申し訳ないことをしたけれど)

その女は「アイツはアタシが辞めさせてやった」と吹聴してまわっていたらしいが、何年もまわりから持て余された挙句、なぜかある日顔をボコボコに腫らして結局自分も辞めていったらしい。

盾は矛だし矛は盾

たしかに、論理的思考は、非論理的思考に勝てない。だけど、それは”パッと見”の話だと思う。

理屈が通じない相手は最強だ。だってモンスターだから。

でも、わたしたち人間は環境適応能力に優れている生きものだから、ちゃんと”慣れる”ことができる。

どんなに理不尽なことを大声で叫ばれても「あーまたなんか言ってんな」と笑いとばせる。

筋道を立てたり、根拠を示したり、段階的に判断していく力は、いつしか自分の指針になる。

声の大きな人に、負けるふりしたっていいんじゃない。

大きな風が吹いたって、どんなに地面が揺れたって、どっしり構えて枝を伸ばしてたら、そっとやちょっとじゃへこたれない。

論理的思考力は、論理的思考のもとに育たなくてもいくらだって育つ。

だからこそ、「話のできる相手」のもとだけに根をはろう。

大人になったわたしたちには、その環境を選ぶ権利がある。

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さとうひより/ロジエ編集長
さとうひより/ロジエ編集長
「女の子だから」とジェンダー的不平等や性の搾取にけっして遭うことなく、「女の子だから」と自覚的に楽しめる社会をつくる野望を叶えるため、インターネットでの読み物サイト「ロジエ」を立ち上げました。      ▶︎​このライターの記事をもっと読む!