昼間の読み物

ピンクホリックは緑のせい

学校中で、「お習字セット」が緑色なのは私だけだった。

女の子だったら赤、男の子だったら青。人は生まれた時から、”色”で性別を区別される気がする。

生まれたての赤ちゃんは性別があまりわからないし、幼稚園や小学校にあがると男女で行動が分かれたりもするから、色による区別というのはこの世に生まれてから一番最初の社会参加の印なのかも知れない。

私は家でも親戚中でも初めてのこどもで、それはもうみながらかわいがってくれて育てられた。「みながら」というのは故郷の東北弁で、「みんな総出で」のようなニュアンス。私は親戚中みんなのこどもだった。

幼稚園にあがった頃、弟が生まれた。小学校にあがる頃、二人目の弟が生まれた。そうやって、変わっていったのは私の優先順位だった。

わたしの田舎では、男の子がとても大切にされる。女の子はいつかお嫁に行って、よその家の人間になるから。
だから、お裁縫箱とか、体操服とか、習字セットとか、そういう学校で使うものはぜんぶ青とか緑しか買ってもらえなかったのだ。選ぶべきは、いつかそれを使う弟たちのための、男の子の色。

「あなたはなんでも新しいものを買ってもらえていいわね。弟たちはお下がりだからかわいそう。」それが母の口癖だった。

一人だけ違う色のお習字セットのカバンを、いつも隠しながら歩いていた。
昔から「少し変わった子」と周りから言われることが多かったから、もしかしたら目立とうとして違う色を選んでいるのだと思われてたのかも知れない。

「なんで普通にできないの」と私を叱る母が、そういう時だけ「人と違うほうがオシャレじゃない。」「うちはうち、よそはよそ」と言う言葉の意味が理解できなかった。

もう少し年齢があがると、水色とか黄色とかオレンジとか、そういう自分の個性みたいなもので文房具や小物を揃えるようになる。
今度は女の子たちの間で「ピンクは可愛い子の特権だよね。」というのが暗黙のルールになっていた。私はピンクが好きだったのに、ピンクを持つタイミングも失ってしまった。

(性同一障害でタレントの)はるな愛さんが、「心は女の子なのに、みんなと同じ赤いランドセルを持たせてもらえなくて悲しかった。」と言っていて、「わかるよ!」とテレビの前で涙ぐんだことがある。

私もお習字セット、みんなと同じピンクがよかったもん。
ランドセルの赤だけが、自分の女の子としてのアイデンティティだった。

私は緑がイヤだった訳じゃない。お姉ちゃんだから、弟たちのために自分が我慢するのなんて、当たり前だと思ってはいた。でも、私のために選んだ色じゃなかったから悲しかったんだよ、お母さん。緑かわいいね、ステキだね、似合うよって言ってくれたら、それでよかったのに。

大人の方が実は自由だ。もう自分で選んで好きな色のものを買って持てるようになったから。気づいたら、持ち物や服のほとんどがピンク、ピンク、ピンクだらけだった。友人からのプレゼントも、「ピンク似合うよね」っていつもピンク。

ピンクホリックは緑のせい。でもそれに気づいたから、今年は色んな色を選ぶんだ。毎日変わる自分に似合うために。

(2017年1月16日の日記より)

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さとうひより/ロジエ編集長
さとうひより/ロジエ編集長
「女の子だから」とジェンダー的不平等や性の搾取にけっして遭うことなく、「女の子だから」と自覚的に楽しめる社会をつくる野望を叶えるため、インターネットでの読み物サイト「ロジエ」を立ち上げました。      ▶︎​このライターの記事をもっと読む!